ゲームセンターがまだ風俗営業の適用を受けていなかった時代
- 2010/7/22
- 麻雀コラム
ゲームセンターがまだ風俗営業の適用を受けていなかった時代、ジミー君たち外国人がディーラーとして働いていたゲームセンターのカジノコーナーでは、若者に混じって大の大人たちもルーレットやブラックジャック、セブンポーカーを夜通し楽しんでいました。
週末ともなるとそのカジノコーナーは満員盛況で、ルーレットのベット(チップを賭けること)終了のベル音がけたたましく鳴り響き、ブラックジャックテーブルでは「ヒット、ステイ」といったかけ声やら、ポーカーテーブルからは悔しさをにじませた「ダウン」の声が聞こえてきました。
それらのテーブルをのぞき込んでいたギャラリーの中に、黒ズボンにワイシャツ、メガネをかけた高校生富沢君がいました。彼は都内の有名私立進学校生で、ルーレットのホイール(数字の記載された回転盤)を見つめては時おり小声で「シロンパ」「シチゴサン」と呟くのでした。「シロンパ」とは「4-6-8」の数字を意味する隠語で「シチゴサン」とは「7-5-3」を意味していました。その数字はルーレット盤の数字の配列を意味し、4〜8の数字の配列にルーレットのボールが落ちることを彼は予言していたのです。シロンパの数字配列は「4-16-33-21-6-18-31-19-8」で、その範囲にルーレットのボールが落ちることを予測し、それらの数字にチップを置くとあたる確率が大きくなるというわけです。
彼の呟きを聞いて、遊びに来ていた大学教授がその通りチップを置くと、なんと毎回大当たりではありませんか。いつしか高校生の富沢君はカジノゲームコーナーのアイドルとなり、常連客からは「少年!」と呼ばれ、ゲーム料金は常連の大人たちが出してくれることもしばしばでした。理数系の頭脳の持ち主富沢君は、ブラックジャックやポーカーにおいてもその記憶力を遺憾なく発揮し、ゲームの女神を呼び込んでいました。
その少年は高校卒業後現役で歯科大学へ進学。夜はゲームセンターでディーラーのアルバイトをし歯科大学を卒業しました。アルバイトのせいか歯科医師国家試験に1度失敗したようですが、今は歯科医院を開業し、2児の良きパパとなっています。