昭和62年2月10日 第139号
麻雀百話(95)
ノーテン罰符
川辺 保
松の内も過ぎたある日、善さんがやってきた。そして来るなり何言うかと思ったら
「旦那、菅原道真について、いろいろ教えて下さい」私はびっくり仰天した。
「おいおい善さん、いきなり何を言い出すんだ。私は歴史の先生じゃないんだからそんなこと訊かれたって、知ってないよ」善さん、さも不服気に
「そんなケチなこと言わずに教えて下さいよ」
「別段ケチってる訳じゃない。一体なんで菅原道真公のこと知りたいんだ」
「実はいま、私が時々麻雀に行く人野木の菅井さんという内科の先生が、その道真公の子孫だというんで、菅原道真の話をすると喜んで一本つけてくれるんですよ」私は呆れた。「だから菅井さんのところのドラは五筒なんです。赤五筒なんか出るずーっと前から、祖先道真公の紋だっていってドラは五筒なんです。菅原道真の紋は梅の花ですか」
「さあ、道真公の家紋が梅かどうか知らないが、道真公まつった天満宮の紋どころは梅の紋だな」
「だから先生の牌は、五筒四枚に菅井照之と一字ずつ彫ってあって、これを四枚揃えて和ると役満になって、先生からご褒美が出るんです」
「ははあ、善さんそんなことが目的で大野木までちょくちょく出掛けて行くのか」
「別段そんなことで行くんじゃありませんが、方角がいいのか負け知らずなんで」
「ところで旦那、菅原道真ですが」善さんまだ天神様にこだわっている。「道真公の話を
すると先生ご機嫌なんで」
「一本つけてくれるという訳か」
「いえ、一本はどうでもいいんですが、大野木はあっしのお花畑ですからね」善さん稼ぎ場を失いたくないらしい。
「教えてくれと言っても、前にも言ったように、歴史の先生でも研究科でもないから、詳しくは知らないが、宇多天皇、醍醐天皇時代の石大臣だ。道真は政治家でなく文章博上だったんだ」
「文章博士って何ですか」
「学者だ。普通なら右六臣などという朝廷の最高の位につける訳はないのだが、当時天呈よりも勢力のあった関自の藤原基経に苦しめられ通しだった宇多天皇を助けたその功績で、次の醍醐天呈の時に右大臣という最高位に抜擢されたのだ。それが藤原
「族に心よく思われなかった。特に左大臣の藤原時平に憎まれて大宰府に流された。位も
権師(ごんのそつ)という低い位置に下げられて何の仕事もさせられなかったので、詩歌ばかり作っておった。」
「道理で先生の家には歌の掛軸がありやした」
「東風吹かば、という有名な和歌だな」
「いえ、そうじゃなくて、去年の今夜この月をとかなんとかいう詩です」
私は思わず噴出してしまった。
「それじゃ金色夜叉だ。そうじゃなくて、それは去年の今夜清涼に待すという詩で、流される前の年、清涼殿で天呈とご一緒に月見の宴をしたのを懐しがって読んだ有名な詩だよ」
「旦那何んにも知らないってくわしいじゃありませんか」
「私もその位のことは知っているよ。歴史で習ったから」
「そうですか、お蔭であっしも先生の話相手になれそうで
さあ」
「それじゃますますお呼びがかかり、善さんも商売繁盛という訳だね。ところで善さん菅井先生というのは本当に道真公の子孫かね」私がこう尋ねると、
「そんなことあっしにゃ判りっこありませんよ。しかし旦那これがウソなら罪になるんでしょうね」
「いや罪にはなるまいよ、それを種にして悪事を働けば別だが」と私は前にあった熊沢天皇の話をしてやった。
「以前、熊沢天皇と名乗る男が現われてね、我こそは醐朝北朝に分れた当時の一方の天昊の正統の子孫であると名乗り出て世間を大いに騒がした。こと皇室に関する問題だけに宮内庁でも慎重に調べたんだが、これが出たら目と判ったんだ。当時石田一松というインテリ歌手がいて、世情を諷刺したのんき節を唄って人気があったんだが、あれは熊沢天呈ではなく熊沢ノーテンだと唄って世間を沸かしたもんだよ」
「熊沢ノーテンか、こいつはいいや」善さんすっかり喜んで
「しかし旦那、いくらなんでもこの男は罪になったでしょう」というから私が、
「世間を騒がしたことは事実だが、別に罪に問われたということも聞いていないな」というと、善さん、
「そんなことはないでしょうや、ノーンは罰金ですよ」