昭和61年8月10日 第133号
麻雀の『ツキ』の研究
計算する方法
「彼はツイてる男でござりますれば……」。日露戦争の時、山本権兵衛海軍大臣(のち首相)は東郷平八郎を連合艦隊司令長官に据え、その理由を明治天皇に問われてこう答えた。意外も意外、世をアッといわせる抜てき人事であった。
それまでの東郷元帥(当時、中将)は全く鳴かず飛ばず。二流鎮守府司令長官を最後にクビ(退役)寸前の状態にあったが、これで一躍、時の英雄にかけ上り、名将の名を欲しいままにした。日本海海戦において、ロシアのバルチック艦隊を撃滅したからである。
このゴンベエさん(愛称・正しくはゴンノヒョウエ)と元帥のエピソード、直接にはマージャンの話ではないが、ツキというものを語って面白い。そうはいってもゴンベエさん、単にツキだけで元帥を抜てきしたのではない。考え得る可能性を総合判断した上での決断であった。伝記を見れば分かる。
この”可能性”とは何か。すなわち「確率」のことである。そしてわがマージャンは、いうまでもなく「確率と心理」のゲーム。小局(短期)にはツキに、大局(長期)には確率に左右される。では、大局を制する、いいかえれば最後に笑う者となるための確率とは何か。
『確率』とはなにか
「もし、新規まき直しということになったら、何か変更したいことがありますか?」
『もちろんさ。カンヌとモンテカルロで、赤でなく黒にカケておけばよかった』
―ウィストン・チャーチル(イギリス元首相)
赤と黒とはルーレット。カンヌ・モンテカルロは有名なトバク(賭博)場である。
このジョークは、単なるジョークではない。ルーレットに限らず、深い真実味がこもっている。あらゆることに適用され得るが、わがマージャンにおいても「あそこで〈1・4万〉待ちでなく〈2・5万〉待ちにしておけばよかった」などという後悔は、誰にでも(しかも何度となく!)覚えのあることであろう。
この後悔をなくする、つまり、正しい判断を下すのは非常に難しい問題である。
この難問解決の手法として「確率(数理)」がある。
では、確率とは何か。平たくいうと”可能性がどのくらいの率であるか”ということである。それならば我々は、確率論の何たるかを、知ると知らずに、無意識にやっていることである。
「ここは〈6・9万〉待ちする方が〈5・8万〉待ちにするより出やすい」
「ここはトイトイよりもチートイにもっていった方がアガリやすい」などなど。
この判断、むろん当たることもあれば当たらないこともある。
しかし、以下の確率論を知ってかかるのと知らないでかかるのとでは、結果(勝率)に大差が出てくる。
つまりは「原理原則」を認識してかかるのと、そうでない(我流)との差である。
【図1】あなたは原則として、何をすてる?
三色同順を狙うか、一気通貫を狙うか?
(場況は思慮外とする)
一三①②③④⑤⑦⑨12388
【図1】をご覧頂きたい。読者は、このような手ハイになった時、場の状況などにもよるが”原則として”どの針路を選ぶだろうか。一気通貫か三色同順か。
むろん、次にどんなパイが来るか、それは”偶然”でしかない。しかし、この間にハッキリとした正解はあるのである。正解は……以下をお読み頂ければおのずと出てくることである。
賭博ずきの天才たち
偶然と確率を数量的に扱うようになったのは、ルネッサンスもまさに終ろうとする17世紀前半である。
“なぜ負けるのか”の疑問をかかえたギャンブラーたちが、当時の著名な科学者の門を叩いた。なかには、イタリアのあの偉大なガリレオを訪ねたものもある。
ガリレオも大いに興味を持った。サイコロについて研究し、その論文も少なくない。
また、この頃、フランスにはド・メーレという貴族がいて、彼はトバクでメシを食っていた。そしてついにはカケ率の”計算”を誤って破産してしまった。この計算の誤りを正したのが、これまた有名な万能学者パスカルである。
型破りな天才もいる。カルダノは、イタリアに生れた数学者であり、物理学者であり、天文学者であり、しかも「トバク師」!であった。医学の称号もとった天才であるが、私生児生まれという理由で、仕事をするのを禁じられた。それでも彼はその抜群の能力によって名声を博した。この恵まれない年月の間、カルダノはトバクによって生計を支えていた。代数に関する彼の本がまた傑作。秘密にする約束でライバルから教えてもらった三次方程式の解法を、あたかも自分で解き明かしたようなふりをして書いている。これが今日でもカルダノの解法と呼ばれているものである。
彼の息子の一人は、妻を毒殺したかどでギロチンにかけられ、もう一人は父親の家に強盗に入るという名うての悪人であった。
天文学の分野で、カルダノがなしとげた奇妙な仕事の一つに、イエス・キリストの星占いというのがある。すぐに不敬のかどで逮捕され、書物の発行を禁止されてしまった。しかし、彼の人生が終る頃には、法皇から年金を受けるような身分であった。100冊あまりの本を発行したほかに、原稿のままの作品を100以上残している。
確率は賭博から生まれた
このように「確率」の科学は最初、トバク(賭博)の道具として生れた。そして、約300年、有名な学者達の研究の集大成として、今の確率論がある。
トバクというと顔をしかめる向きが多いが、そして特にマージャンの場合は、いわば禁句としてタブー視されていることでもあるが、トバクは必ずしも敵視すべきものではない。
古今東西、無数の家庭がギャンブルのために苦しめられ破滅してきたのであるから、その限りにおいては、ギャンブルは確かに悪であり不遵徳ではあろう。
しかし、要は限度と方向の問題である。
早い話が、人生は一種のカケである。こうすれば必ずこうなる、と全て決っているとしたら、クソ面白くもない人生だ。先き行き不明だからこそ面白いし、我々は苦楽を味わい懸命に生きる。
経済(投資と回収)、受験、各種保険、みな然り。
かくして、次なる可能性を求めて確率論は「明日を予測する」学問として確立した。
今では、数学者、物理学者、生物学者、各種技術者はいうに及ばず、経営者、ビジネスマンなどの思考・行動力の基準となった。例えば、時代の最先端を行く理論科学、原子核やその他の分野で、物理学はどんどん確率の原理で語られるようになってきている。
医学や社会科学など一見、確率とは何の関係もなさそうな分野でも、確率論の子供である統計的手法を便って理解される場合がしばしばある。
有名な例が、死亡率第1位を占めるガンの原因予測であり選挙の結果予測であろう。
再び『確率』とはなにか
「確率」がいかに信頼に値するものであるかを強調したが、お分かり頂けよう。具体的な話に入ろう。
確率を理解するための基本的知識として、次の3題を考えてみる。頭の体操「ヘッドジョギング」には格好の問題である。
①100円玉を投げる。表が出る率と裏が出る率はどのくらいか。ただし、100円玉は表裏均質。細工なしとする。
②実力同等の雀士4人が公平な勝負をし、Aがトップになった。では、Aが3回連続トップになる確率はどうか。
さて、①はすぐお分かりだろう。表と裏の出る率は五分五分である。(平均の法則)
3回とか5回程度なら片寄ることはあり得るが、これがまとまった回数100回、1千回となると、表と裏の出る率は、ほとんど各1/2である。(大数の法則)
②平均の法則によって、4雀士がトップを取る確率は、それぞれ1/4である。Aはこの第1戦の1/4をモノにし、第2戦の1/4のモノにし、さらに第3戦の1/4も続けてモノにすると、1/4×1/4×1/4=1/64が正解。実戦でも、3回連続トップがめったに出ない(4者実力同等として)のは、この1/64という確率の低さのためである。
なお、計算方法は1/4×3ではないことに注意。以上を頭に入れて次の問題に進む。
“ツキ“はまわるか?
③実力伯仲の4雀士が100回戦を競った。平均の法則によれば、トップになる回数は各々1/4ずつ、つまり、ほぼ25回ずつが予想される。ところが、めったにないことだが、Aが20連続トップになった。すると、残り80回戦のうち、Aがトップの占める割合はあと5回(5/80)しかないことになる。この推論は正しいか?
読者諸賢のお答えは?……
まずここで、結論を出して頂きたい。そのうえで次の答えをお読み下さい。
この③の問題は、100円玉投げを想定すれば分かり易い。
100円玉を100回投げる。トータルでは表裏の出る率は五分五分(各1/2)である。しかし、そのうちの1回1回をとり上げてみると、これもまた五分五分である。
つまり、100円玉に記憶装置はないのである。今までどのように裏表が出ようとも、それに関係なく、これからも裏表の出る確率は五分五分である。いいかえれば、前に20回表が出ていても、残り80回が裏表五分五分の確率なのだから、100回合計の予想は、表60(20十40)回、裏40回である。
(以下後編へ続く)