麻雀新聞第263号 1997年(平成9年)6月10日
マージャン界の羽生を
子どものころ、最初に興味を持ったスポーツは、相撲だった。祖父が大好きで、いつもテレビで一緒に見ていた。その次に好きになったのが野球である。小学校の高学年時は、クラス内でチームをつくって、暗くなるまでボールを追っかけていたものだ。
相撲取りにはなろうと思ったことはなかったが、プロ野球選手にはあこがれ、中学、そして高校と野球部に籍を置くことになる。
しかし、高校の時点で自分の限界が見えプロ野球の選手という“夢”が膨らんでは消えていったのだが、大学生になってから突如芽生えた“マージャン・プロ”という夢を追いかけ始め、それが夢から現実となってしまったのが私の人生。“プロ”と呼ばれるようになれば、次はタイトルホルダーをめざし、それが達成されれば次の目標に、と駆け続けてきた18年間。現在の私にとって“マージャン・プロ”と呼ばれるのは、それを専門として生計を立てている以上、何ら恥ずかしいところはない。
しかしながら、かつての“夢”は、囲碁や将棋、あるいはゴルフのようなトーナメント・プロの世界だった。
現在の第一線で活躍できる残り少ない時間にどこまでできるかわからないが、ひとまず「麻雀連合」を発足し、トーナメント・ツアーを行うことになった。
まだ、プロ選手は私を含め2人だけ。ツアーのシード選手も25人だけだが、このツアーで活躍した選手の中から数人がプロとして追加認定される。
しかし、私の現在の“夢”は、まだこのツアーには参加していない若い人の中から、麻雀界の羽生善治を輩出することである。中学生、高校生のマージャン・ファンが急増している今、受け入れ態勢さえしっかりすれば天才雀士の誕生も可能だと思っている。
(井出洋介・マージャン評論家)