昭和64年(1989年)1月10日 第162号
クリーンで健康的な新生麻雀の追求!!特集(2)
日本健康麻雀協会設立の意図 理事長 田嶋智裕
日本健康麻雀協会(井出洋介代表、田嶋智裕理事長、会員36人)は8月24日の設立総会後、月1回の理事会で具体的署業計画を練っているが、協会設立の経緯、目的などについて田嶋理事長に投稿願った、また、協会設立への一因となった田嶋氏の個人的試み―昼間空いている店を老人、主婦などに低料金で解放し、「賭けないマージャン」で潜在人口を掘り起こしながら売り上げ増に成功したについても、具体的数字をまじえて公表してもらった。
週5日昼の時間帯を活用
健康マージャン
私の店の実例
今回は、私個人が自分の店で、昼間の空き時間を利用して続けてきた「健康マージャン」を中心に話を進めます、この「健康マージャン」に集まる人が確実に増え続けたことによって、健康的なマージャンを指向する人々のすそ野の広がりを感じ、私自身のマージャンに対する考え方も影響を受け、それが協会設立への一つのきっかけになりました。
現在、何人かの協会会員が同様の試みを続けています。私の店は東京の西麻布1丁目のビル3階(テナント)にあり、セット専門の14卓で、‘68年11月の開業です。
‘83年頃、ある企業の移転などもあって売り上げが大きく落ち込み、転業を真剣に考えていました。その時、ある友人に「新しい仕事なら100の努力をしなければならないが、慣れているマージャン業なら50の努力で同じ結果が得られる。50の方が楽じゃないか」とアドバイスされ、ハッと目が覚めました。
それから、店で食事を作るようにし、店の大会を初めて開き、昼間、マージャン教室を始めました。また、それまで休業していた日曜、祭日にも店を開けるようにしました。2ヵ月で3卓ほどしか入りませんでしたが、それでもやめようとは思わず、お年寄りと遊んでいれば気がまぎれるだろう、そのうちに日曜の答も拾えるだろうと考えて4ヵ月間続けました。
そして、お年寄りを対象に「健康マージャン」を始めたのは84年9月です。私の所属する麻布組合では‘79年から老人ホームに卓や牌を寄贈し、’82年から敬老の日に40~50人のお年寄りを招待する「麻布敬老麻雀大会」を開いてきましたので、そのつながりで、お年寄りに声をかけたわけです。
組合顧問の平山羊介先生(元都議会議員、老化防止策としてマージャンを推奨している医学博士)にも相談して「これからの時代は、老人でも必要な経費は自ら負担するという考え方が必要」というアドバイスを受け、午前10時から午後4時までの間、好きなだけ遊んでもらって1日1人1000円(現在は1200円)の料金にしました。また、組合でも話をし、「私は日曜にやります。お年寄りが麻布へ来れば、毎日どこかの店で遊べるという形が望ましいから、皆さんもやりましょう」と声をかけ、当初は水曜日の店もありましたが、結局、私の店だけが残りました。
最初からノーレート、つまり賭けない形で始めたのですが、特に意識してのことではなく、お年寄りだから、レートがないほうがトラブルがなくていいという軽い気持ちでした。
法律上の問題はともかく、私は現在でも賭けを否定するわけではありません。人間は男に生まれるか女に生まれるかがまず賭けで、学校や職業を選ぶのも、結婚も、新しい事業を興すのも、すべて賭けで、人生そのものが賭けといえます。
それほど大上段に構えなくても、私の店の夜の営業は一般的なレートのマージャンで成り立っていますし、「健康マージャン」に飽き足らない一部の人たちは、テレホンカードをやり取りするマージャンの新しいグループを作りました。もちろん、私自身も一般レートのマージャンを楽しむこともあります。
ただ、金品を賭けないマージャンもありうるということを知っていただきたい。人によっては、賭けないマージャンの方がはるかに楽しいということだってあるのです。「健康マージャン」を始めて3年後くらいから、潜在人口として、賭けない、あるいはこく低レートのマージャンを指向する人の方が、現在の一般レートのマージャンを指向する人より多いのではないかと思うようになりました。
この「賭け」に関する考え方は、協会の統一見解でもあります。
「健康マージャン」を始めた当初は、お年寄り相手のボランティア活動としか考えていませんでした。
朝からの仕事は慣れていませんから、いつも居眠りをして、おばあちゃんに「かわいそうねエ、疲れてんのねエ」なんて言われながら、9ヵ月ほどは、やっと1卓、2卓という状態。
肉体的にはきつかったけれども、商売が存続するかどうかの境目だから、このくらいのことができなければと自分にムチ打って続けました。「石の上にも3年」という言葉もあるし、目分が無料奉仕したと思えば、そんなに資本が要るわけでもないし、と。
その後、人の紹介で主婦が来るようになってから愛好者の輪が広がり、卓数も徐々に、しかも確実に増えました。それまでの日曜に加え’86年1月から木曜、9月から土曜、‘88年1月から火曜と開催日も増やし、現在では金曜の教室と合わせて週5日、昼の時間帯を活用しているわけです。
登録会員は373人
主婦を中心に女性が75%
「健康マージャン」はもともと男女混合で和気あいあいで続けてきましたが、多くの女性はダントツのビリでオーラスでも千点の手をあがって喜び、男性は「なんでそんなのあがるんだ!マージャンというのは……」と始まり、女性はまた「いいじゃないの。あがれば嬉しいのよ!」と言い返すというトラブルが発生しました。
人それぞれの価値観ですから、一概に一方を否定するわけにもいきません。そこで、「女性価値観」を我慢している人たちを土曜に移し、「ヘルシー・マージャン・サークル」と名付けました。この人たちは’88年7月からテレホンカードをやり取りするようになり、午後2時~閉店の間に好きなだけ打ちます。所得のある人を対象にしていますから、料金は1人1回300円、会員数l16人(‘88年10月未)です。
また、「男性価値観」や喫煙を嫌う女性のため、火曜は女性だけの日にしました。「健康マージャン」の愛好者は「六本木健康麻雀同好会」の会員として373人(‘88年10月末)が登録されていますが、4人の同業者を除き、すべてロコミで集まった一般ファンで、女性が4分の3を占め、年に約80人ずつ増えています。
40~50代の主婦が最も多く平均年齢は57歳、最年少18歳、最年長88歳です。デパートの教室の生徒だった人も少なくありません、デパートの教室は本業の顧客獲得を究極の目的として、多数の人を対象とするため、一定のコースを終えると強制的に卒業させます。ところが、そういう人の受け入れ体制がほかにありませんから、マージャンをやりたくてやりたくて仕方がないという人たちです。終了の午後4時近くになっても「もっとやりたい」と言うのを、「早く帰ってご主人の夕食を作ってあげなさい」と追い返す感じです。
「健康マージャン」の成績はスリーポイント・システム(トップからラスまで3~0点のポイントを付ける)で1週間ごとにコンピューター集計し、1年を6期(2ヵ月ずつ)に分け、規定打数20として優秀者をささやかに表彰します。例えば、88年第5期は10月15日現在で規定打数以上の人が48人いますが、最も多く打った人は95打数で、つまり、「健康マージャン」のある日はほとんど毎日来ていることになります。今、私の店では夜の一般客で週3回来る人はいません。
なお、その時点で規定打数未満が79人、合計127人。10月末まででだいたい150人となり、その辺が実質の分止まりで、会員の約4割が定着していることになります。教室は金曜の午前11時~午後6時、最初の60週間はテキスト付きで月5000円、それが終了すれば1日1500円で自由参加というシステムですが、いきなり「健康マージャン」へ入っても技術が追い付かない初心者もいますから、教室はなくてはならないものです。
「健康マージャン」は1日6~10卓で平均8卓ですが、「ヘルシー」と教室を合わせた企画物の合計売り上げは、‘88年1、2月の45万から7月以降の60万円へと着実に伸び当初は全く考えもしなかった商売に結び付いています。一方、同時期の一般客のゲーム代売り上げは、1、2月の200万から3月以降は140万台に落ち、7月に工60万に戻したのも束の間で、8月には110万台と大きな波があります。待つ商売がいかに弱いかの証明です。
ボランティアで始めたが
立派に商業ベースに
「健康マージャン」の会員はほとんど弁当持参で、お茶もセルフサービスのため、40人来ても、店のスタッフは1人で済みますから、低料金に見合う経費節減ができます。なるべく気の合った人同士で楽しく遊べるようにメンバー編成するのがスタッフの仕事です。
私は今、人間の喜びはゼニ金じゃないということを実感しています。誰もしなかったことをボランティアで始めてそれが商業ベースに乗った。来てくれる人がみんな喜んでくれて、この店は儲け主義じゃないと思われていて、そこそこに売り上げが上がっている。そのことを光栄に思っています。
「健康マージャン」のおかげで、子供にこの商売を継がせたいと思うようになり、名刺に牌の絵を出せるようになり、意識改革になりました。時代とともに人間は変わりマージャンのルールも変わります。それにうまく対応していくことが大事です。時代に合った発想の転換をしていかなければ、私たちの目指す新生マージャンはもちろん、マージャン業の将来もありえません。その回答は何年か後に現実の形として必ず出るはずです。 (完)