〇〇と麻雀 第17回
麻雀は勝ち様よりも負け様がもっとも大切!
「500 点」からの麻雀は人生にも通ずる!
みなさまごきげんよう。
一歩進んで二歩下がる。ごっさんです。もう3月、グローバルに言えばマーチということで、あの懐かしい曲でご挨拶です。
さてみなさん、突然ですがお知らせがあります。今まさに皆様がお手にとってお読みになっている「麻雀新聞」が今号をもって何と「500号」という大変めでたい日でございます。この麻雀新聞は1977年(昭和52年)に創刊され、今年で40年目を迎えます。麻雀に関わる方々の情報源として、日本の麻雀界を長らく見守り続けてきた存在なのです。
ちなみに1977年というと、王貞治がホームラン世界記録を達成したり、日本赤軍による日航ハイジャック事件が起きたり、キャンディーズがかの有名な「普通の女の子に戻りたい」という言葉を残して解散を発表したりと、様々な出来事があった年でした。今回は、その「500」という数字に注目してみましょう。
麻雀において「500」といえば、何を思い浮かべるでしょうか。300・500点のツモアガリや爆勝ちした総スコア、少し大人なレートのチップなど人によって様々あると思いますが、私は「500」点そのものに思い入れがあります。もちろんルールによって異なりますが、多くの麻雀ルールにおいて持ち点が500点の場合、リーチをかけることはできません。さらに、ノーテン流局だった場合自動的にハコテンが決定してしまいます。私も麻雀を打ってきた中で、この500点しかない状況に多々出会ってきました。
私は麻雀では勝ち様よりも、負け様にその人の素が出ると考えています。メンバーとして働いている間も、お客さまが極端に低い点数になると、気をつかったものです。「どうせラスは確実だから」とヤケクソになる人もいれば、希望を捨てず、ひたむきにアガリを重ねる人もいます。特に、リーチをかけることができない1000点以下の状況になると、その人の様がより顕著になります。
皆様はどちらのタイプでしょうか。たしかに、勝てる可能性が低い勝負を捨てて、次の勝負に掛けるというのも一理あると思います。しかし、私はいかに可能性が低かろうと、負けが確定するまで必死にかじりつき、もし上手くいかずとも潔く負けを認める打ち方の方が好きです。実際に、500点ほどしかなかった状況から死力を尽くしてトップを勝ち取ったことも多々あります。その勝利の味わいは、格別なものがあります。まだ未熟者の私ですが、これは人生の様々なことにも通ずると思うのです。
そんなことを、「500」点に思い馳せます。
ちなみに、私は跳満や倍満を上がるのももちろん好きですが、親のリーチを300・500でサバくことに一番の快感を覚えます。
PROFILE:ピカピカの社会人1 年生。
マスコミ関係の仕事でバリバリ稼ぎます。
麻雀店スタッフ経験有り。