麻雀に関わる人々
我々がふだん何気なく遊んでいる麻雀だが、その楽しみを我々が享受できているのは、縁の下の力持ちが、確かにその基盤を支えてくれているからにほかならない。
それは、麻雀業界そのものに携わる人や、はたまたプロ団体に所属人々かもしれない。あるいは、麻雀店の経営者。
この企画では、そのような「麻雀に関わる人々」にインタビューを行い、その時に伺った話を、記事として掲載していこうと思う。
第一回:e’sグループオーナー 広川 宰有 氏①
記念すべき第一回は、関西は大阪にてふたつの店舗を経営している麻雀店オーナーである、「広川 宰有」氏にインタビューを行い、お話を伺った。
広川氏の経営する、e’sグループといえば、難波店e-sou(イーソー)と梅田店estar(イースター)の両店舗のことであり、より詳しい情報を求める場合は、以下から参照してほしい。
*以下本文中、敬称略
*当記事のまとめが、2018年2月10日に発刊される 麻雀新聞2月号 に掲載予定
記者
本日はよろしくお願いします
広川
こちらこそ、よろしくお願いします。
記者
まず始めに、雀荘を始めたきっかけって……なんでしょう。
広川
僕自身が、麻雀を高校二年生の三学期に覚えたんですね。そこから麻雀をずっとはじめていきまして。
一番最初に麻雀店オープンしたのは、二十年近く前なんですけども、最初始めたのは、やはり経済的なものも含めまして、メンバーの数を少なくできるということで、三人打ちから始めたんですね。
記者
人件費の面で、ということですね?
広川
そうですね。三人打ちで始めたのはそれはそれでよかったんですが、元から四人打ちのお店をやってみたいというのがあったんですね。
で、そのあとに二店舗目に出したのが、難波のe-sou。で、その時に四人打ちを始めたんですね。
もともとあったお店は、寺田町にパオというお店で。もう二十年以上前なんですけども。
記者
ごめんなさい、存じ上げていないです……
広川
もう難波に(出店してから)十五年くらいなるんですけど、難波始めてから少しして畳みましたんで……。
四人打ちを始めたのは、もともと学生時代よくフリーに行ってたのは四人打ちでしたので。
記者
大阪の?
広川
大阪でしたら麻雀大学に行く事が多かったですけども、学生の時は横浜におりましたので。
横浜に麻雀店Sというお店が昔あったんです。そこが大学在学中にオープンしまして、よく行ってましたね。
記者
それで四人打ちが基本というか、ベースというか。
広川
はい。
記者
次の質問に移らせてもらいます。四人打ちであっても三人打ちであっても、どちらでも、麻雀店を運営していて、一番苦労したことは? エピソードとかでもいいんですが。
広川
そうですね…正直、あまり。
記者
(笑)
広川
好きなことをずっとやってますんでね、あまり苦労してるという実感はないんですね。
例えばですけど、年末で人が何人かやめて……まぁ、人手不足になることは今までも何度かあったんですけども、なにか不幸中の幸いと言いますか、そのあと人が増えたりするんですね。
十一月、十二月と五人ほどやめるとか、やめる予定だったんですけど、一月いっぱいでやめると言っていたのが二月も続けることになりました。
昨日もひとり寮に入ることになりました。そしてもうひとり、今よりももう少し多く働かせてほしいと言ってくれた人も。
もちろんそれなりの苦労はありましたが、なんというか、そういうめぐりあわせなのか、なんとか助けていただいてというか、なんとかなってます。
記者
やっぱりどこの雀荘でも従業員不足に嘆いていますもんね。実は僕も、昔雀荘でお世話になってことがあるんですけど、その時も、人手不足が深刻な問題でしたね……。
広川
どちらのお店ですか?
記者
まぁ、大阪の麻雀店Cというお店なんですけども……
広川
あのあたりでしたら、麻雀店Bさんとかありますよね。
オーナーのTさん、実はうちにお客さんとして来てくれてましたし、その弟さんがうちで働いてくれていたんですね。
弟さん含め、その友達もたくさん来てくれてましたね。
あとは、泉佐野の麻雀店GのオーナーのSさん、ですかね。
あの方はもともとMさんの営業で働いていて、そこから麻雀が好きで好きでお店やりはったんですね。いまは梅田の麻雀店Rで働いてますよ。
(麻雀界の)世間って狭いですよね(笑)
あとはI市にある麻雀店Tさん。あそこのKさんは、パオで働いていた人でね。麻雀強いですよね。
記者
存じてます。強いですよね(笑)
広川
まぁ、昔からいろいろありましたけど、苦労……といえば、なんでしょうね。
困ったお客様への対応とか、ですかね。どこのお店でもあると思うんですけど。
なんですかね……。
記者
ずっと楽しくこのお仕事してらっしゃる?
広川
そうですね、もう二十年以上してますから。
若手経営者言われていたころもありましたが、いまは僕もね(笑)。
いま最若手といえば、麻雀店ZさんのGさん。
大学院を途中で辞めて、(麻雀店を)オープンしたから、二十三歳ですね。
記者
僕よりも若い(笑)
広川
やっぱり若い方が業界に入ってきてくれるのはいいことです。
そういえば、今でこそ笑い話ですけど、三日に一度くらいは、細かいトラブルはありましたけどね。
だんだんそういうのは減ってきてますけど、今でも、例えば、お客さんが上着を取り違えて帰られたとか。
昔々でいうと、十七、八年前、東京に用事で行ってたんですけども、そうしたら、大阪から電話がかかってきて、金曜日の晩ですかね。
従業員が、「五十円玉が足りないんですけど!」って。東京にいてる僕が何ができるねん、っていう話ですけどね(笑)
あとは、数年前、難波店のエアコンがお盆の三日位前に故障しまして、そこから、業者さんに連絡して……突貫工事して修理してもらったり。
記者
今思い返せば苦労だけど、とにかく目の前のことを全力で当たっていた感じですか?
広川
そうですね。目の前のことを……原則、ちゃんと決着をつけて終わらせる。後回しにせずに。
記者
ありがとうございます。では、次の質問に移らせてもらいます――
次回は、1月28日更新予定です。